醒めない夢を見ていた

ただ、いとしいとつたえるだけ。

あなたが抱きしめる刹那のうつくしさについて

わたしは、季節の移ろいを慈しむひとがすきだ。前にも書いた記憶があるけれど、もういちど書く。春夏秋冬を肌に落とし込んで、嬉しそうにちいさく笑うひとがすきだ。

暖かな風の匂い、新しい学校の校庭に咲く桜の絨毯のなか、まっさらな年月を重ねる春。大人になればその光景をリプレイすることは無くなってしまうけれど、それをふとした隙間に思い出して、心がきゅっとなる春。

プールの塩素の匂い、からりとした風で揺らめく部屋のカーテン、涼しい部屋の心地良さにとろとろと眠ってしまう午後3時。夜、ベランダでラムネの瓶を開けて月の光にビー玉を透かす夏。

イチョウ並木吹く風と長い夜に自分のこれ迄をかさねて、少しだけ立ち止まって甘える秋。

クリスマスのまあるいネオンと真っ青な空に、永遠の意味を問うみたく降る雪、定義も意味も分からないけれど、ただ永遠を誓う冬。

 

 

わたしは、そんな季節を抱きしめるひとがだいすきだ。

 

 

だけどこの夏、だいすきなひとが季節を愛おしむその瞬間を、目の前で見ることは叶わなかった。

そのひとはいつも、最高の夏をわたしにくれるひとだ。陽炎みたいに早足でわたしの前から消えてゆく夏を捕まえるみたいに、わたしの心を、からだを、時間を、刹那を、ぎゅっと抱きしめて帰ってゆく。わたしはそのひとのすべてに、夏の終わりまで取っておいたラムネの瓶をそっと開けて恋心にビー玉を落とす。きらきらの顔で手を振り、ときにはウインクを零し、世界を呑み込み、焼き尽くす。『皆さんのおかげで最高の夏になりました!』と笑って、客電が付いたときにはもう、そこにはいない。

その何もかもが、夢であったと思わせるようなすべてが、そのひとにはあるのだ。わたしは、そのひとの手のひらのうえで踊る、踊り子にすぎない。

そんなわたしのだいすきなひとが耀く夏は、2020年のいま、それぞれの場所で耀く夏へ変わった。

「ぜひ一緒に、この壁を乗り越えてみせよう!」なんて朗らかに呼びかけるから、だいすきな光景が鮮やかに頭のなかで蘇って、痛くて切なくて悔しくてだいすきで、わたしは簡単に泣いてしまった。

だって、ひとりひとりが強固で、繊細で、伸びやかで、軽やかで、美しい歌声がすきだ。

個が色濃くて、頭から爪先まで、情念としなやかさと熱情が走るダンスがすきだ。

3人でたわいもない話で盛り上がる(ちょっとだけつまらない)MCがすきだ。

カトゥネット高丸のコーナーがすきだ。

3人を彩り、強くし、美しくしてくれる機構が好きだ。

3人に関わるすべてに拍手するあの瞬間がすきだ。

手を繋ぎ感謝を伝えるあの瞬間がすきだ。

じんわり迫る刹那に気づきながら、もう終わりだよ、の声に気づきながら、銀テープの雨に嬉しそうな3人を見るのがすきだ。

アンコールでトロッコにいるとき、柔らかい顔をして手を振る3人が好きだ。

気づかれなくとも、だいすきなひとの名を懸命に叫んでいるときの、わたしがすきだ。

想いは行くあてを無くして、骨抜きになる瞬間が好きだ。

すきなひとに、直接すきを伝えられるあの瞬間、誰になんと言われようと、わたしが世界でいちばん耀く瞬間であると、自覚出来るあの時間がすきだ。

すべてが終わって客電が付いた瞬間、『最高だったなあ』と全身の力が抜ける瞬間がすきだ。

帰り道、駅までの道のり、歩く歩道橋、夜に溶けてゆくわたしの知らない街を眺めるのがすきだ。

新幹線のなか、朧げなセットリストの通りに音楽を組んで、言いようのない気持ちに押しつぶされながら、見慣れた風景の映る車窓の反対、すきなひとを想う時間がすきだ。

今日もよく眠れますように、美味しいものがたくさん食べられますように、明日も明後日も、その次の街でも、あなたがあなたらしく、3人が3人らしく走り抜けられますようにと願う、短い時間がすきだ。

 

 

 

わたしは世界がまるっきり変わってしまったこの4ヶ月弱を経て、気づいたことがある。

 

 

 

 

わたしは、KAT-TUNがだいすきだ。

中丸雄一というひとが、心底だいすきだ。

 

 

 

寂しい。正直言って、すごくすごく寂しい。

 

 

 

 

 

こんな気持ち、全世界に文章というかたちで見せるまい、と誓って過ごしてきたけど、言わせてほしい。わたしは、KAT-TUNに逢えなくて、ものすごく寂しい。

画面越しでしか会えない今が、こんなにも辛い日が来るなんて思いもしなかった。充電期間中に感じたきもちよりもっと、心のなかの違う場所が、3人に、なかまるくんに逢いたいと叫んでいる。逢いたい、逢いたいなあ。

それだけをおもい続けていたら、9月から、楽しい時間の再演が決まった。飛び上がるほど嬉しかった。エンターテインメントがじわりと動き出したこと、また、楽しい時間を生きるなかまるくんに逢えること。嬉しかった。だから、自分をもっともっと大切にしようと決めた。すきなひとと、すきなひとを守ってくれるすべてと、わたしと、わたしの周りのひとを悲しませないために、まずは、もっと自分を守ろうと決めた。まだまだ不安は拭えない日々が続くけれど、いつかまた、すきを思い切り叫べる日が来ると信じて。好きなひとが提示する永遠のこたえを、見つけることができるその日まで、ちゃんと愛し抜けるその日まで、ちゃんと。

 

わたしのだいすきなひとは、刹那を愛せるひとだ。ときに悲しさとか切なさとか痛みとか抉るような言葉のなかにも潜む刹那を、いっとう愛せるひとだとわたしはおもう。

 

きみがすきです。わたしはきみがすきです。

 

七夕の夏、向かうは、刹那が永遠になる瞬間、わたしはこの気持ちを、永遠にしたいとおもった。たとえ、それがすこしつめたくて、残酷でも。

 

また、すぐ…ね?