醒めない夢を見ていた

ただ、いとしいとつたえるだけ。

滲む微熱、読点の先 -なかまるくん40歳の誕生日によせて-

中学生のころ、いまにもねむってしまいそうな水泳の授業のあとの4時間目の漢文は、とかく試練だったのを覚えている。けれど、孔子の「論語」を学んでいるときだけは、いつかこんなことをおもえる日が来るのだろうかと漠然とした期待を込めながら起きて板書をとっていた。

子曰、
「吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず。

子曰く、、
「私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、
人の道を踏みはずすことがなくなった」と。
(『論語』・旺文社)

ひととしての基礎が出来て、しっかり自分の足で立てるようになるまで、やはり相当時間がかかるものなんだと、当時のわたしは思っていた。やりたいことも、すきなものも、とにかく溢れてしまうほど沢山ある自分にとって、それを全部叶えながら大人になるという工程は、流れの速い河を小さい船で渡るくらい大変なものというイメージがあった。

そんな答えの見えない証明を永遠に解きながら、たったひとつだけ明確な答えを持っている問題があった。

賢くてずるいひとがすきだ、

ということ。「すきだ」の後ろが句点ではなく読点なのは、そのあとにまた新たな要素が追加されるかもしれない期待からだった。

ちょうど30歳を迎えようとしていたなかまるくんのことをおもいながら、"わたしのなりたいひと"は間違いなくあなたで、恋心と、尊敬と、信頼を胸の真ん中に抱いています、と密かに答えを出して、それを目印に今日まで生きてきた。ぼんやりとしたすきが、言葉という質量をもって改めてわたしの目の前に降りてきた瞬間だった。わたしはきみがすき。きみがすきだ。どうしたって。ぜんぶ。

夢を叶える過程で、その夢を口にしながら、努力をひたむきに見せながら自分の思い描く地点へ到達することは、ひとつの方法だろうとおもう。けれど、いつもあなたは"口にしない"選択をする。時に苦しくてさみしそうな顔もする。それは2023年の、39歳の1年間だってそうだった。だけど、やっぱりあなたは飄々としている。どんどん広がってゆくあなたの中の宇宙と、沢山の責任と、立場と、昔では考えられないくらいの名前の知られ方と、幾つもの幾つもの肩書きをその背中に背負いながら、いつだってすきなことをやっている。すきなものを食べている。そのままで生きているように見えて、緻密に張り巡らせる理性の奥で、等身大のあなたを滲ませるのだ。いつかのPersonであなたに与えられた『僕は、さらりと不言実行。』が、あなたの名前の隣で、よりつよく光った。

39歳のなかまるくんは、「あのときのあれ、何だったんだろう?」の問いの答えを、あなたが歩いてきた砂漠の道に、雪道みたいに沢山の経験で溢れてごつごつした道の上に、宝物をみせるこどもみたいな無邪気さとひたむきさで教えてくれた日々だった。やりたいんです、の言葉に滲む微熱が、うつくしく咲いた。

TGCのステージ。フラッグパフォーマンス。メイク。新しい"お友達"と"はじめまして"が増えていくYouTube。新しく始めた飾らないツールたち。早稲田学報エッセイ。後輩とつながって繋げていく未来。人知れずずっとずっと続けていた漫画連載への道。それをカタチに出来た初夏。わたしはそれをひとつずつ拾って陽の光に透かした。全部全部、血が通っていた。ただの好きが突き動くだけでは出来ないものたちが、あなたの中にあるルールで、方程式で、確かにそこに在った。あなたが放つ柔らかさの奥に灯る火が、まっすぐにまっすぐに未来を照らしていた。

スポットライトの下、カメラの前、タブレットの置かれたデスクの前、歓声、ひとびとがあなたの名前を呼ぶ声。風、音、匂い。全部があなたを手放さなかった。あなたがひとから愛されることに1ミリの躊躇いや照れがないように、あなたを見守るすべてが、あなたを愛して、決して離さなかった。その一方で、ただ単に運や"好き"の感情だけでは遠い世界へ運んではくれないことも、痛いくらいに知っていただろうとおもう。どんなに深く憧れ、身体や心が渇いてしまうほど強く求めても、"アイドル"である自分の職業と名前が、先行して世の中を駆け巡ってしまうこと。それが良いとされる日も、好奇の目に晒されてしまう日もあること。けれどあなたは、理性の鎧を幾つも被りながら、弛まぬ努力とプライドと負けず嫌いさと素直さと強かさとほんのすこしの薄っぺらさを携えて、すこしでも身体の力を緩めたら立っているのもままならないような世界で、そこにいてくれた。いつもの、「なんでもないよ」の顔で。自分の職業を「自営業」とするあなたが、自分で営んできたこの道に、まっすぐにまっすぐに向き合っていること。飛び抜けた好奇心で高く飛びながら、欲しいものを、夢を、この道で歩いていく意味を、武器を、アイデンティティを示してくれた。

今の自分を富士山に例えると?いつも5、6合目で"いたい"ですね。この仕事はいつまで続けられるか正直言ってわからないけど、その時その時を大事にして120%で頑張ったら長く続けられるはず。だから向上心を持ち続けるためには8合目まで来たな、なんて思わないようにしたい。

(STORY 超絶男子図鑑120より)

STORYのインタビューで語られたこの言葉たちは、彼の身体の真ん中で光る灯にほんの少しだけ触れられた気がした。彼が大切にしたいひとや、ものに向ける"見えづらいやさしさ"は、緻密に張り巡らせた理性の奥から伸ばすその手によって、熱を帯び、届く。

「誰かと一緒だといろんなことできる できなかったことができる 叶わない夢が叶う」

 

1人は...

ブレがない、歩みを想像しやすい、無駄な力を使わなくていい、自分の価値観を守れる、安定している

 

誰かと一緒だと...

いい意味でも悪い意味でもブレが生じる、歩みが想像しにくい、人のために力を使わなければいけない時がある、人に影響される、不安定なことも多い

 

誰かといることはたいへんだ

腹が立ったり、悲しい気持ちになることもあるだろう

だけど、誰かと一緒にいると想像していなかった力が出る、知らなかった自分に出会う、誰かが与えてくれたものが嬉しくて涙がこぼれることがある

 

誰かと一緒に何かをするには、そこにいる人同士で目配せをして、相手の物語を感じて、思いやって、能力の凸凹の関係性の溝を埋めていく必要がある

 

それができれば

人は誰かと一緒にすごく遠くまでいける

(【シューイチ 中丸のリアルまんが道プラスα】ボツにすることにした竹取物語モチーフネームの漫画で中丸先生が描きたかったテーマメッセージ)

わたし達は生きていくうえでどうしたって無傷ではいられなくて、傷が無数にあるからこそ輝くのだと、それが光の中で乱反射してうつくしいのだと、彼が歩いてきた哲学の道をゆっくり辿りながらおもった。この言葉は、そんな哲学の道のいちばん奥で、辿り着いたひとだけに教えてくれるものなのだと、わたしは悟って泣いた。あなたの時間は、あなたの背後に静かに流れていく。ひとり舞台のパンフレットのインタビューで『もういいかな、戻らなくても。』と答えたあのページをなぞったあの日をおもいだしたあと、この言葉をもう一度声に出して噛み締めて、"きっと明日も明後日もその先も、あなたはここにいてくれるのだろう"と、そんな予感がした。

"進みたい"の気持ちが途絶えない限り、あなたはこれからも知りたいとおもうことを知ってゆくのだろう。観たい景色に辿り着く旅路がどれだけ険しくても、雨に濡れながら、心の真ん中の灯に火をくべて燃やしながら、自分自身を光らせながら道を照らして、進んでゆくのだろう。"好奇心"の渇望をかきたてる風があなたを後押しして、知らない世界へ連れてゆくのだろうとおもう。そうして得た旅の思い出を、あなたが解いてゆく証明の答えを、わたしはまたいつの日か知るのだ。

"賢くてずるいひとがすきだ、"の読点のその先の答えは、いつだっていい。出なくたっていい。知らないことを沢山教えてくれるこの日々が続くなら、それだけでじゅうぶんだ。哲学の道が砂漠でも、雪道でも大丈夫。どんな道だって歩くことを誓う。

もしもこの先、あなたがすこしでも後ろを振り返ることがあるとき、どうかやさしく微笑んでいますように。今日もすこやかでいてくれますように。沢山たべて沢山ねむれていますように。「ぼくは、ワーカホリックなんです。」と零すあなたが、会いたい人に会えていますように。頼りたい肩が、背中があるのなら、柔らかい夜の中で寄り添えていますように。"愛してる"を、大切な誰かに届けられますように。自分の背中は自分じゃ見えないから、その代わりにありったけの言葉で届ける。そのままでいて。正しさは、あなたもわたしも守ってはくれないけれど、きっと大丈夫。愛するひと以外ぜんぶとあなたは誓いをたてて、約束することが生きることだと、信じている。

 

あなたの微熱に宿した信念がすきだ。心の奥底で燃え上がる火が着く瞬間を見るのがすきだ。あなたの生活の彩度がすきだ。どうしたって生活は続くこの世界で、生活とスポットライトが繋がっているところがすきだ。あなたが見るタワーの明滅が、いつでもやさしくあるといいな、とおもう。やさしくて、理性的で、ずるいところがすきだ。そのずるさがやさしさにつながっているから、気持ちが突き動かされるたびに骨抜きになってしまう。自分を大切にしてくれるひとたちのことを、ちゃーんとわかっているところがすきだ。自分のことをよくわかっていて、自分らしさの軸を守れるところがすきだ。軸の強さと俯瞰で見る力が両立しているところがすきだ。こどものままの冒険心で、すきなものを大切にしているところがすきだ。すきがチャンスに繋がることを幾度も幾度も教えてくれた。戦友に、後輩に、さりげなくエールをあげるところがすきだ。こういうところが好きなんだよなと何度も噛み締めて、またひとつすきを積もらせた。ひとに寄り添えるところも、否定しないところも、やさしい言葉尻も、誰も傷付けないまあるい言葉を選べるところも、どれも簡単なことではないから、日々あなたがひとにどう向き合って、何を大切にして生きているのか、そういう真心が透けて見える瞬間が、わたしはいっとうにすきで、それに酔ってしまう。ひとくち分のシャンパンをのむみたいに。

"四十にして惑はず"。

今日から新しい十の位で人生を織るなかまるくんへ。いくつ歳を重ねても、人生のステージが変わっても、誰にも染まらず、あなたがおもう正解と幸せを選び続けてください。あなたの選択がちゃんと正解になるように、わたしがあなたの選択におおきな花丸を描きます。大人って長いけど、大人ってたのしいってことを教えてくれたのは、紛れもないあなただから。30代で見せてくれた素敵なもののこと、ぜんぶぜんぶ覚えているよ。あなたのくれた宝物で掬いあげられた日々が沢山あるよ。

"すき!"と叫べば済むはずなのに、ちっとも済んではくれない"すき!"という感情を、因数分解でもしたみたいに、気付けば何処までも何処までも綴っている。ごはんを食べることも、寝ることも忘れて。かたちを掴めないなにかに浮かされたみたいに。甘い媚薬を飲んだかのように。"すき"は、ほんとうに厄介ものだ。悔しいほどに。何もかも棄てたくなる。そんなこと、いけないって分かっているけれど。存在が遠いものではなく、近くにあって、肌感覚で自分に語りかける。その肌触りを確かめるように焦がれるうち、いつしか自分だけのものになっているような心地よさに惹かれるのかもしれない。理解されるような欲望なんてこの世にはないし、すきの前では理性など、ただの飾りだ。わたしがひとつ歳を重ねて、身長が伸びて、季節の匂いが変わっても。あなたとの距離は少し近づいて、ゆっくり影が伸びるくらいの速度で、遠くなってゆく。十の位の数字が隣同士になることは永遠にないけれど、わたしはきっと、あなたが恋をして、アイスクリームが溶けてあなたの心臓に火が付くのをずっとずっと待っているのかもしれない。

きみがすきだと叫び崩れ落ちて暮れてゆく心は果物みたいに熟れて、冷えていくほどに甘く、儚い。うつくしいことは悲しいから、悲しいまま歩いてゆくんだとおもう。あなたのことなら、あなたに出会う前からきっとすきだったのだとおもうのだけれど、あなたに出会うことで、出会ってしまったことで、この世界のすべてが地獄になってもよいとおもうようになった。ほんとうに厄介だね。この気持ちはやっぱり、恋と呼ぶにはあまりに脆く、愛と呼ぶには軽すぎる。でも、それでも、わたしはあなたを見つけたんだ。なんの変哲もない街角で。あなたの心の真ん中で灯る火のことを、恋することで溶けるアイスクリームの味を知りたくて。それはきっとこれからも変わらないはずだ。笑った真昼も、泣いた夜も、すこしだけ怒った日のことも、たのしかったもさみしかったも、ぜんぶぜんぶ抱きしめてしまっておくから。もうすこし、もうすこしだけ、つきあってください。

生まれてきてくれてありがとう。アイドルでいてくれることを選んで、自営業で歩くことを選び続けてくれてありがとう。

40歳のなかまるくんが、どうか素敵な一年を過ごせますように。レベルアップした特別な数字の隣で、誇らしげに笑える日々でありますように。今日がとびきり最高でありますように。9月4日、世界でいちばんだいすきな今日に。中丸雄一さん、お誕生日おめでとう。