醒めない夢を見ていた

ただ、いとしいとつたえるだけ。

隙間の季節と あなた色したあまい嘘のはなし -『中丸君の楽しい時間4』を観て-

日常と非日常の隙間に飛び込むと、それ迄見えていなかった世界の裏側に気付くことがある。夢にも、泡沫にも、蜃気楼にも似たそれが目の前に浮かぶその刹那、 わたしは熱に囚われる。生乾きの自我が、ゆっくりと自分のなかで広がってゆく。

世界の全てが夢になって、あまい嘘になって、それまで抱えていたものをすべてはなし、かえす。

客電が付いた瞬間、わたし達は日常にもどる。

3、2、1、のカウントダウンも、盛大な演出もないけれど、つくられた嘘はひとをつよくするし、虚構のうえに立つ現実は、つめたく、うつくしい。

『中丸君の楽しい時間4』はそんな作品であることを、わたしは知った。劇場で観劇を重ねても、始まりを待つ静まり返ったひとりきりの部屋のなか、配信でその世界を噛み締めても、なかまるくんのことはやっぱりなにもわからなかったけれど。劇場を出たあと、配信が終わったパソコンを閉じたあと、この日常が紡ぐ世界には、意外にもたくさんの"おもしろい"が転がっていることに気がついた。ひとつずつ空いた座席の、劇場に漂ういつもとはちがう異質な静寂の、四角い画面の向こう側。2020年、ゆっくりと日常が殺され、色が無くなったとおもっていた世界は、わたしの知らないところで静かに、けれどたしかに、色づいていた。

 

『先ずは自分が楽しいと、面白いと思えるものを』楽しい時間シリーズは、いつだってなかまるくんのそんな想いからはじまる。パロディも、ときに飛び出す得意なイラストも、緻密に計算された音と光のトリックも、影絵遊びも、観劇に来ているお客さんとの質問コーナー(これがなかなかにハードで、観劇をする側はけっこうHPを喰らうけれど)も、すべての起点は"彼自身がたのしいとおもうこと"だ。そこからうまれるソロアクトは、日常がずーっとつづいている。毎日からうまれる些細なできごとが、なかまるくんのフィルタを通して、"どこかおかしな"日常になってゆく。心地の良い"嘘"と"現実"が歪に入り交じり混沌がうまれる時間が、わたしは堪らなくすきである。終わったあとに待ち受けるもどかしい毎日も、きっと大丈夫。"楽しい時間"がぜんぶ素敵にアップデートしてくれるから。

 

 

前作からおよそ1年半。楽しい時間も4回目を数える2020年。何気ない日々は、ゆっくりと、けれど確実にわたしの心を蝕んでいった。周りを取り囲む終わりの見えない鬱屈とした空気も、増えては減って、また質量を増す数字も。遠いながらもずっと側にあると思っていたエンターテインメントは、一気に"要らないもの"とされて。生きる力が、静かに掌からこぼれ落ちてゆく。そんな最中開いたソロアクトの幕。そこには、世界中に悲しく散りばめられた数多のルールのなか、きらきら輝いて遊ぶなかまるくんがいた。ピンチをチャンスに、ネガティヴをポジティヴに。いつもみたく飄々と、Funnyで、キュートで、シニカルに。そんな気概が痛いくらいつたわってきた。感染対策で間引かれた劇場の座席。いつもよりもしんとした劇場のロビー。名前と連絡先を書くスペース。パンフレットだけ置かれたグッズコーナー。"いつも通り"がなにひとつない空間で、彼は紛れも無く、"エンターテイナー"だった。自身の内側にいる"中丸雄一"が、グローブ座で日常を作っていた。芸術には、笑えないを笑えるにする力があると思えた2時間。なかまるくんの"すき"がこれでもかと爆発した2時間。ここからまた新しいページが作られていくんだと予感させた作品だった。

 

そんな素敵を詰め込んだ秋の日の幻を、わたしの記憶の限り書き残しておこうと思う。"4"という数字に真正面から向き合って生きた中丸雄一さんに尊敬と憧憬を抱きながら。

 

 

暗転ののち、開演。四分割された画面には、開演時間である"18:00"、"舞台ロゴ"、"楽屋"、"会場ロビー"、"客席1"が映る。

因みに、開演前もこの四分割画面には映像が映るのだが、"舞台ロゴ"、"会場ロビー"、"客席1"、"客席2"、という構成だった。少し早めに椅子に座って準備をしていたわたしは、ロビーで忙しなく動くスタッフさんや続々と訪れるお客さんの姿をボーッと見ながらも、開演前からなかまるくんに監視されていることに気づき鳥肌が立った。楽屋に会場の様子が流れていることはなんとなく知っていて、知識として覚えていたつもりではあるけれど、いざ自分が"監視される側"であると知覚した途端、こわかった。こわくてこわくて、堪らなかった。

 

 

 

THE NUMBER 4 IS OMINOUS. 

THERE IS NO SCIENTIFIC GROUND TO SUPPORT THIS, BUT THE NUMBER 4 HAS BEEN AVOIDED IN JAPAN.

AND IT IS ENTRENCHED IN OUR SOCIETY AND NOT A FEW PEOPLE ARE PSYCHOLOGICALLY AFFECTED BY IT.

                               ━━━━  SAM NAKAMARU  

 

4という数字は不吉である。

科学的根拠は無いものの、

昔から日本では4を避けられていた。

それは社会的にも定着しており、

心理的に影響を受けている者が

少ない訳ではない。

サム・ナカマル

この舞台は4が心底嫌いな中丸が、普段の出来事を少しだけ見る角度を変えた世界の半分フィクションの物語である

舞台は、こんな言葉とともに幕を開ける。彼自身の日常と、フィクションが溶け合いながら進む。"いつもと違う日常"がどこかに散らばりながらも必死に彼が苦手な4と戦うおはなし。またひとつ、あなたのことを愛していくことができてしまう、可笑しくて、苦しくて、せつなくて、うつくしい時間達。

稽古終了後から寝るまでを記録したグッドナイトルーティン。歩く姿がどうしたって猫背で、コレクサとなんだかんだでなかよしで。自分の"だいすき"がたくさん詰まった部屋と道具に囲まれて生活を営むなかまるくんに、いとおしさを抱きしめずにはいられなくなった。出演番組全力パロディコーナー、リミックスアルバムコーナー。なかまるくんの飄々としたかたちに隠された才能が、これでもかと溢るる瞬間だ。彼のやりたいエンターテインメントは、彼のすきなエンターテインメントは、間違いなくここにある。かたちを変えて、時間を越えて、KAT-TUNのエンターテインメントに姿を変えるそれは、中丸雄一というひとの核である。ずっとずっと真ん中にある、彼の"おもしろい"のぜんぶである。わたしはなかまるくんのことがずっとずっとすきだけれど、彼の頭のなかを覗いても、彼のことはやっぱりわからないのだろうとおもう。今回の目玉、バイノーラルマイク演出。終焉が誰にも見えない未知のものと、それに抗うように敷かれた演劇のルール、自治体のルール。ひとの温もりを感じられない分、バイノーラルマイクで互いの距離をゼロにしてくれる。彼の輪郭には、手を伸ばしても触れられないけれど、低くてやさしい声にはこの手で触れることができる。なんてしあわせだろうとおもった。すぅっと吐くちいさな息も、セリフの書かれた紙を捲る音も、鼓膜を通して、熱を持つ。あなたを構成するぜんぶがすきだな、ってまた完敗しちゃうみたいに、わたしの身体は何処か遠くにいってしまう。コンサートの会場で刹那的に瞳が交わされるときみたく、"あなたとわたし"になる。1対1で、秘密の約束をばれないようにするみたいだった。ああもうどうしよう、すきだなあ、とわらってしまった。ひとのかたちをたもたぬまま。質問コーナー。お客さんに投げる言葉の豪速球に『すき……』とマスクの下で顔を綻ばせ、絶え間なく注ぎこまれる感情に素直に震える手を、必死に握っていた。どうしたってやっぱり、"ことばとことばが紡がれる瞬間"がすきだ。お客さんとなかまるくんの言葉のキャッチボールの心地よさに、『KAT-TUNのなかで誰が好きなんですか?』の問いに「なかまるくんです」と恥ずかしそうに自白された途端、ハート型の唇がむにっと動いて、「あ、ありがとうございます」とすこし素っ気なさげに、でもその声色はあかるくて、口角が嬉しそうにあがる。彼が彼をささえているひとから愛を真正面から受け取るその瞬間の、隠しきれないしあわせなその表情に、もう何億年も遠い過去におもえてしまう大きな会場の夏の匂いを掠めたりした。バイノーラルマイクのコーナーの直前、イヤホン確認で音声を流し、マイクに異常が無いかチェックする場面。舞台をとことこと歩き、何気ないおはなしでその場を繋ぎながら、スタッフさんに俊敏に対応する姿。その一瞬だけ、甘やかで艶っぽさを孕んでやわらかだった声が低くなり、瞳の奥が鋭くなる、わたしのだいすきな"仕事人"の顔。なぜか泣きそうになってしまった。どうしたってなかまるくんは舞台のうえに、ステージのうえに生きるひとで、ステージを喰う光と音と歓声と、その裏で響く緻密な工程を飲んで生きているんだ、と。トリックコーナーの映像と自身の影、かたちを合わせるさまに感服し、影が自我を持った瞬間に背中がぞくぞくした。ラストのダンスシーン。レーザーが繋ぐ糸の向こう岸、光の幕のその奥で揺れる彼は、劇場で観たときも、配信で観たときも、何時だってこれまでの中丸雄一とはまるきり別人の表情をしていた。劇場に響く重低音と2階、3階から貫かれるレーザーの海。観客であるわたしだけでなく、なかまるくん自身も溺れているみたいで。光量も、音の広がりも、スケールが格段におおきくて、世界中がなかまるくんのものみたいな感覚になった。一度目、その世界ぜんぶを覚えていたくて、わたしは瞬きをしないように必死に捕らえた。広がる世界がまぶしくて、うつくしくて。二度目、三度目。わたしはわざと瞬きをした。瞼の裏側に広がる世界がコンマ一秒で変わってゆくさまが、とっても綺麗だった。すこし湿度を生んだ、光を手懐けるみたくじっとり見つめる瞳も、音を、光を捌く鋭い手先も、細かなリズムを刻むステップも。瞼を閉じて開いた次の瞬間には違う景色があった。光が尾を引く残像さえも愛せてしまう世界って、きっとふたつとない。すきが質量を増してひとつ増えるしあわせを、わたしは身体中に刻んで、永遠にしたかった。

 

 

 

カーテンコール、千穐楽公演。彼は、S-1グランプリの映像と同じ柄シャツにピアス姿で現れた。割れんばかりの拍手と、漏れ出る呻きにも似た嬉しい悲鳴を背中に受けて礼をする姿に、わたしは泣きながらすきを零した。舞台の裏話をしながら構成を共に手伝ってくれたスタッフさんへ感謝を述べる座長としての表情が、どうしたってやさしくて、どうしたってだいすきで堪らなかった。このきもちは、心酔にも似ている。

『ぼくは本当に幸せ者だとおもいます』そう口にしてくれたことが、こんなにも嬉しかった。しあわせだと、恵まれていると、ありがとうのきもちを素直にまわりのひとへ伝えられるやさしさと、しなやかさをもったこのひとが、わたしが世界でいちばんすきなひとです。どうしたっていちばんのひとです。

なかまるくんは、なんでもそつ無くこなして生きてきたひとのように見えるけど、決して器用ではなくて、凪いで飄々とする表情の奥に隠した物凄いプライドと負けず嫌いさと、素直さとしたたかさ、すこし見え隠れする薄っぺらさといじらしさの絶妙なバランスが魅力だとわたしはおもっている。彼のすべてを掴めそうで掴めない、ちょっとだけあいまいな輪郭がいとおしい。あなたの身体に、呼吸に、きもちに、影がすっと落ちるとき、わたしはなぜかすこしだけ、こわくって、さみしくって、悲しくて、安心するんだ。これからも、ずっとずっとそのままでいてください。

 

 

なかまるくん、32公演おつかれさまでした。改めて、ありがとう。このソロアクトを完走するためにいっしょに走り抜けてくださったスタッフのみなさま、ありがとうございました。

 

 

劇場で観劇した2公演目の終演後、駅で10ks!のバックを持った高校生の女の子が、柱に凭れながら友達に電話をかけている光景に居合わせた。

『ねえ、ほんとにほんとにかっこよかったんだよなかまるくん…ほんと、ほんとに…受験最後の現場がこれで良かった。ありがとう…明日からの活力になった…』

降り出した雨のなか、制服姿で涙と雨の混ざっためろめろの顔で電話しているその姿が見えたとき、ああ、エンターテインメントが、アイドルが居る意味はここにあるんだ、決してむだなものなんかじゃないんだとおもえて、込み上げるものがあった。アイドルは、夢のなかだけを泳いでいるわけではない。ちいさな星になって街に煌めくひとつひとつの現実が、夢を創造していくのだと知った。駅で泣いていたあの子もまた、未来を織るひとりのような気がした。一秒進むことに未来はぽこぽこ生まれる。夢や虚構のなかにある貴方だけのその大切なものを、現実へと惹きこむことが出来たら、丸く縁どられたあまい嘘が光る日がきっと来るとわたしはおもう。もっともっと、長い夜のことを信じていたくなった。つらくてかなしくてどうしようもない日々が、どうってことない過去になって笑いばなしにできるその日まで、わたしはこのあまい嘘に救われていたい。生きていくことは、生活は、けっこうやさしくなんかなくて、残酷で、つめたくて、鋭利だけれど、そのなかでみつけたちいさなできごとをこんなにも愛せたらどれだけしあわせだろうか。わたしから見える世界が、深まる思考が、零れることばのうつくしさが、貴方へわたす愛のかたちが、いろが、楽しい時間4を観ただけなのにこんなにもまた一段と変わるなんておもいもしなかった。東京は、やっぱりうつくしい街で、寂しい街で、なかまるくんにいちばんお似合いの街で、だいすきな場所だ。ああ、世界って、こんなにもおもしろいんだ。苦しさは時々あるから、しあわせをしあわせとして抱きしめることができるんだ。 そう気づけたのは、なかまるくん、あなたのおかげです。ありがとう。

 

なかまるくん、あなたがすきです。

どんな素敵な昨日より、生まれゆく明日を漂うきみがすきです。

『ぼくがはなしていることはすべて嘘です。』って笑ったラジオのジングルの言葉を、わたしはわらってしまうくらい真っ直ぐに、ばかみたいに真っ直ぐに、信じてしまっています。

わたしよりも長くこの世界を紡いでいるあなたはきっと、わたしよりも先にいなくなってしまう。だけど、あなたがいなくなった世界が変わらずうつくしいとき、あなたという存在が、実はひとつも失われていないと分かるのだろうとおもう。

わたし達は無傷のままではいられなくて、ちいさな傷をたくさん背負うから、光のなかではきらきらと輝けるのだと誰かが言った。それは、飄々と漂うみたいに生きながら、ときどき横顔に寂しさの匂いを濃くするきみにも、きっと当てはまる。

やさしさがさみしい色をしてきみをつつむあいだ、明日も明後日もそのまた先も、なかまるくんの進む道が、選んだこたえが、間違いじゃないと確信して、安心して眠れますように。ベッドのなか、いちにちの終わりの答えあわせが、ちいさな花丸でありますように。どんなにつめたく残酷で、ぼくらを振り落とそうとする生活の鋭さにも負けず、毎日を紡ぐなかまるくんの、普通のしあわせが光る日がずっとずっと続きますように。普通でいたいと願うきみに負けないくらい、わたしもしあわせになりたい。

いつかはきみのやさしさに頼らなくても、この正しい夢の終わり方を見つけられるようになるね。でも、あなたをちゃんと思い出にできるその日まで、もうすこし、あとすこしだけ、このままでいさせてください。あなたの高い笑い声と低くてやさしい声を頼りに、悪戯みたいに生きるあなたの嘘に、気づかぬふりをしたまま、わたしの知らないあなたがおとしてくれるしあわせを、たくさん見つけていきたいです。いつかふいにこのきもちを振りかえったときも、照れてしまうくらいにしあわせだったなとおもいたいです。

 

 

 

だいすきです。なかまるくんを構成するすべてがすきです。あなたがすきだと自覚して、あなたを信じると決めたあの日からずっと変わらずここまでやってきたわたしのことも、いとおしくなったりしています。変わらず紡がれる日々で、きみがすきだという真実がまんなかで光っていさえすれば、それだけでいい。あまい嘘に絆されて、だまされたふりを。この先も、ずっと。

 

 

それが、わたしのあなたへのきもちのぜんぶだから。

 

 

あなたが教えてくれたこのきもちの名前は、知らないままでいるね。

 

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